セイコーダイバーズの海に潜る

 一口にセイコーのダイバーズウォッチ、“セイコーダイバーズ”と言っても、その歴史は長く、モデル数は膨大です。その中でも最近になって廃番が確実になったとされ、2021年11月時点で流通在庫は払底気味、値上がりを始めているのが「SKX007」「SKX009」「SKX013」です。

 3モデルとも基本のデザインは同じで、007はブラック、009はネイビー、013はブラックをサイズダウンしたモデルです。いずれも日本国内ではラインナップされていない海外市場向けモデルで、国内で入手すると逆輸入モデルという形になります。また、どれも機械式ムーブメントを搭載するモデルです。加えて、最も安価な価格帯で展開されていたモデルでもあり、在庫が潤沢だった時代は日本円で2万円を余裕で切る価格帯だったこともあるようです。

 廃番自体は珍しいことではありませんが、SKX007など一連のシリーズは息の長いベストセラーとして知られているモデルです。その販売期間は長く、SKX007などの発売は1996年。上記3モデルは最近まで販売されていたので、実に25年ほど販売されていたことになります。

 なお、SKX型番自体は、同時に展開されたさまざまなデザインのダイバーズウォッチに与えられていましたが、現在まで残っていたのは上記の3つと思われ、以下では便宜上、SKX007/009をSKXシリーズと呼びます。

源流は1970年代?

 SKXシリーズは25年前に発売されたロングセラーモデルですが、そのデザインに目を向けると、さらに時を遡ることができます。セイコーの日本国内向けカタログを見ると、1979年には現代のSKXシリーズとほぼ同じデザインのモデルが、「PYH011」(ネイビー、ペプシベゼル)、「PYH018」(ブラック)としてラインナップされていることが確認できます。

 70年代後半ともなるとクオーツ式が全盛の時代ですので、この源流モデルのムーブメントもクオーツ式で、防水性能は150m防水です。当時すでに、上位モデルとして600m防水、300m防水のモデルが「ダイバープロフェッショナル」としてラインナップされています。これらは現在、“ツナ缶”と呼ばれ親しまれている、外胴プロテクターを備えたデザインのモデルです。こうした不動の上位モデルがあるため、PYH011などは単に「ダイバー」という中堅のシリーズとして登場したようです。なおその後、1985年には防水性能が200m防水に高められ、上位の「ダイバープロフェッショナル」シリーズに格上げされています。

 特筆すべきは、ケースのシルエット、4時位置のリューズ、ベゼル、ダイヤルのインデックス、針などの各デザイン、デイデイト表示など、そのほとんどの要素が、現代のSKXシリーズに継承されているということです(ケースの厚さについては分かりません)。25年ほど販売されたSKXシリーズですが、デザインを見ると40年以上前にまで遡れるということになります。

セイコー 1979年のカタログより

 この源流モデルのデザインの特徴は、同時代にセイコーが開発・販売していたダイバーズウォッチの要素のいいとこ取りといった塩梅でしょうか。リューズが4時位置なのは1968年発売のモデルですでに採用していますが、上位モデルの通称ツナ缶にも継承されているので、ダイバーズウォッチの基本要素として採用したものでしょう。

 リューズガード周辺は思いの外なめらかで複雑な形状です。現代のSKXシリーズのケースにも、こうした手作業のような牧歌的な雰囲気のラインが残っています(実際に手作業だったかどうかは分かりません)。ケースの磨き分けも、1979年のカタログを見る限り、側面がポリッシュ仕上げ、上面がヘアライン仕上げで、こちらもSKXシリーズにそのまま残っています。

 ベゼルは側面に2階建てのローレットが刻まれ、ポリッシュ仕上げで、これもSKXシリーズに継承されています。もちろんベゼルの文字面のデザインやアラビア数字のデザインも継承されています。

 ダイヤルのデザインについても基本的に1979年のモデルから変わっていません。大きなインデックスとたっぷりの夜光塗料をはじめ、針のデザインから秒針に至るまで、ほぼ同じといえます。こうしたダイヤルのデザインは、当時の上位モデルであるツナ缶のものと類似点も多く、その意味でも、“本気のデザイン”を受け継いだモデルだった、といえそうです。

SKX009のダイヤル JEWELSの隣にゴミが……

 ざっくりと流れをみると、1979年にデザインの源流となるモデルが登場、1985年に200m防水となり、1996年に海外で機械式ムーブメント搭載モデルとして登場した、という感じでしょうか。詳細には調べていませんので、年次はあくまで参考としてください。

 SKXシリーズに限らず、件のツナ缶も、初代モデルのデザインを色濃く継承しながらラインナップに残っています。セイコーダイバーズにはこうした例の枚挙に暇がありません。ただ、ツナ缶は常にプロ向け・上位モデルであったのに対し、SKXシリーズが継承したのは“無名のダイバーズデザイン”です。70年代は特殊時計の中堅モデルとして、そして90年代はメカニカルでカジュアル、言うなれば“市民ダイバーズ”という立ち位置で、往時とは異なる道を進むことになったようです。

 現代のSKXシリーズは、そのラインナップの立ち位置上、コストに厳しい制約があることは想像に難くありません。一方で、ダイバーズウォッチとしてのプリミティブな要素のみを残しつつ、上位モデルから外れたことでデザインの更新を免れた、あるいは気にせずに復活させることができたため、40年以上前からほとんど変わらないデザインのモデルが現代において販売され続ける、という奇跡が起こったのではないかと想像します。

市民ダイバーズとして

 セイコーの中でもファーストダイバー、セカンドダイバーなどと呼ばれる記念碑的なモデルは、復刻モデルや、再解釈を加えた現代デザインモデルが存在します。当然ながらこれらは高付加価値商品で、立派なプライスタグが付きます。40年前のデザインを継承するSKXシリーズがこれらと大きく異なるのは、かつての名機の復刻ではなく、それぞれの時代で“特別ではない現行モデル”として存在してきたことでしょう。

 SKXシリーズは、ラインナップの中で耳目を集めるようなアイテムではありません。「7S26」という最も安価なムーブメントを搭載するという立ち位置ですし、機械式腕時計としてもダイバーズウォッチとしても最低限の仕様です。

 しかしその一方で、在庫が潤沢だった時代は2万円を切る価格で買えたことで、ダイバーズウォッチを欲しい人、機械式腕時計に興味がある人にとって、世界中で入門機として親しまれていたようです。

 もっとも入門機といっても、ダイバーズウォッチとしてはカジュアルではなく、正しくダイバーズウォッチです。セイコー自身がその規格の策定に貢献したという「ISO 6425 ダイバーズウオッチ」や、それを基にした「JIS B 7023 潜水用携帯時計」などの厳密な意味でのダイバーズウォッチ規格に準拠しており、これは防水のほかにもダイバーズウォッチに求められる耐磁、耐衝撃、耐熱衝撃などの項目もクリアしていることを指しています。これらは実生活でも有効で、実用的な仕様です。ダイバーズウォッチとしての視認性の高さもそのひとつで、これに慣れてしまうと、ほかの腕時計では視認性でストレスを感じるようになるほどです。

 実のところ、セイコーは「5スポーツ」シリーズを若者向けのカジュアルなブランドとして復活させており、SKXシリーズと同じケースを使用していると思われるダイバーズウォッチ風デザインのモデルも国内外で展開されています。ただしこれらはダイバーズウォッチとして展開されているわけではありません。“本物のダイバーズウォッチ”やその性能に価値を見いだせるなら、それを最下層の価格帯で実現しているSKXシリーズは、やはり稀有な存在だったといえます。

 SKXシリーズのケースやダイヤルの仕上げは、その価格帯を考えれば非常に満足のいく仕上がりです。ケースのポリッシュとヘアラインの処理の境目はやや甘めですが、これは価格帯相当のコストのかけかたというより、1979年当時の処理をそのまま継承しているから、と私は想像しています。そう考えると、コスト面での妥協の産物というより、“愛すべきレトロな仕上がり”と捉えることもできます。

 これはベゼルの形状にもいえることで、現代の審美眼でみると、側面はプラスチックにメッキしたかのように見えます。これはローレットのエッジが甘く、ピカピカなポリッシュ仕上げが加わるのも原因で、チープなモデルであることを主張しているようですが、やはりこちらも「40年以上前のモデルと同じらしい」と考えると……“味わい深い”という解釈が持ち上がってきます(笑)。

 SKXシリーズに搭載される機械式ムーブメント「7S26」は、セイコーの安価なラインナップのモデルに搭載される汎用ムーブメントです。手巻き機能や秒針停止機能(ハック機能)も省かれているなど、徹底して内部の機構をシンプルにした仕様で、あえて好意的に解釈すれば、ハック機能など余分な負荷のかかる機構が省かれていることで信頼性が高まっているといえます。手巻き機能がないので振って巻き上げるしかないわけですが、セイコー伝統のマジックレバーが搭載されており、効率よく巻き上げが可能です。

 往時からのセイコーのポリシーを継承してか、デイデイト(曜日と日付)表示は省くことなく搭載しています。「ダイバーズウォッチに曜日表示まではいらないでしょ」というのが大方の意見だと思いますが、デザインの源流になるモデルが登場した時代は、腕時計に対して真剣に便利さを求めていた時代で、デイデイト表示のモデルは数多くラインナップされていました。より普段使いが重視されるであろう、現代のSKXシリーズの立ち位置とも合致しています。

その原初的な魅力に何を見出すのか

 SKXシリーズをあえて悪く言えば、機械式の枠の中でも最低限の性能で、ダイバーズウォッチとして、どこにででもあると感じられるデザインのモデルです。

 では良く言えば……ムーブメントは信頼性や耐久性に期待できるシンプルな構造で、機械式腕時計の入門機にぴったりです。ダイバーズウォッチの仕様はしっかりとクリアしており、視認性や防水性能は日常生活での実用性にもつながっています。また高い視認性は40年来の不変のデザインがもたらすもので、そのバランスはある種の黄金率として記憶の中に刻まれることでしょう。

 この腕時計の仕様、デザイン、仕上げはいずれも、価格に比して高いレベルでまとまっています。視認性の高さや防水性能の高さといった実用性は、この価格帯の時計がどれも実現しているわけではない、セイコーダイバーズとしての強みです。ケースの磨き分けなどは牧歌的な仕上がりと書きましたが、側面のカーブや膨らみは有機的で、こういってよければ、レトロな趣を感じます。

 ムーブメントの精度はコストに直結するため大きな期待はできませんが、外したときは平置きする、2日に1回ぐらいは時刻合わせをする、ぐらいの運用である程度カバーできます。

 SKXシリーズに搭載される要素は、機能もデザインも厳選されており、機械式腕時計としてプリミティブな、原初的な魅力を湛えています。そのことは翻って、腕時計に何を求めているのか? ということを着用者に問いかけます。この腕時計よりも高価な腕時計、高性能な腕時計を、私達は簡単に入手できるからです。

 もっともこれは、現代人に向けて問いかけているというより、腕時計はすべからく信頼でき、実用的であることが第一に求められた時代の製品コンセプトをそのまま携えているだけ、ということかもしれません。

 この腕時計が体現しているのは機械式腕時計としての極めてシンプルな本質です。信頼でき、実用的であることです。

 現在では、実用性の主眼は視認性や防水性といった点にならざるを得ません。機械式であるというだけで、精度やタフネスといった重要な実用性のいくつかはクオーツ式に見劣りするからです。

 逆説的ですが、こうした一部の実用性に眼をつぶって機械式を選ぶという選択が、着用者の前向きな意思を反映する形になります。あえて不便を楽しむという理由で、若年層にフィルム写真が楽しまれているように、正確な時刻を知ることに苦労しない現代だからこそ、ゼンマイと歯車だけで動くというロマンの塊で、精度で劣る機械式腕時計を、純粋に楽しめる時代になっているのかもしれません。

 私達の環境の進化で、機械式はもとより腕時計自体に多くの実用性を求めなくてもよくなっています。ファッションアイテムであるのか、それともあくまで、まだいくつか残っている実用性を求めるのかは、着用者に委ねられています。この加飾のない、安価でよくできた市民ダイバーズウォッチは、幸運にも、そのどちらにもそこそこ応えてくれます。


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